戯言・SHIT

仕事から帰ってきて、何も食べずに酒飲んで一日を強制的にシャットダウン。
目覚めたら午前4時前。中途半端な朝焼けで、なんとも言えない気分。
今日は休みだけど、まだ映画館も開いてないし何やろうかな。

 

「なぜ文章を書くのか」…そんな記事を見て考えた。
筆者は「モテたいから」と書いてたけど、自分は違う気がした。オレはたぶんストレス解消だ。書いててもモテるような内容じゃない。

モテたそうなヤツの文章は寒気がする。知的に見せようとする背伸びの文章、感情のこもってない温度の低い言葉、どこかで見たことあるような美辞麗句。
吐き捨てられた酔っ払いの妄言に、滲み出る人間臭さ・泥臭さ・優しさ。その辺に転がってるありきたりの言葉じゃなくて、その人しか綴れないような言葉。オレはそんなのが好きだ。
ちなみにオレが読んだ記事の人は、ガッツリ後者の人だった。笑

 

オレは毎日暮らしていて、頭の中を駆け巡る不平不満・愚痴etcをしたため、文章にしてブチまける。
前に「書いてる文章のアナタと、私生活のアナタ、どっちが本当なの?」と言われたことあるが、どっちもオレだ。出してないだけだ。

日頃は会社員として社会でニコニコやっている。
社会で生きていると、色々なところに落ちている隠れた差別、他意はないのだろうがとてつもなく酷い中傷をよく見かける。
そんな露悪的な言葉を使う人が、大嫌いだ。でも、その場で強く反論できない自分が、もっと嫌いだ。
世間体やら、その場の空気やらを考えてしまって、何も言えない。
鬼塚こと、反町がドヤ顔で歌ってるGTOのEDが脳裏に過ぎる。


最近、小林大吾さんの新曲をよく聴いている。

www.youtube.com


(ラッパーというよりも)詩人の小林大吾さんが、数年ぶりに出した新曲。再起動とも取れる内容。
墓場にいるゾンビ、そしてその足元で寝てた三つ足の猫。大きく伸びをして曲が終わる。

「魂を持つと昔から聞かされた文字と音が、フェイクや美辞麗句として捨てられていく」
飴細工みたいに綺麗で、骨みたいに軽い。それはかつて人が耳を貸したり、傾けたりしたもの」

最近、ツイッターは言葉の墓場だ、と思ってた。
140字に詰め込まれ、あっという間にTLから流れ去る言葉は、文字通り吐いて捨てられる。
ほんの数名にだけ目に止まり、発言者すら顧みない。だからこそ、軽率にツイートできて、なんか発言した気になってた。
ツイートは「脳のおなら」だ、と東京ポッド許可局で言ってるが、オレは空気に流されない「糞(shit)」を残したい。だから、こうやってブログを書く。


実は、コロナ禍のなかで、文章を書くのが怖くなってた。
路上で寝ちゃったり、街中の川辺で昼間っからビール煽るような、マナーもへったくれもない人間が、大人しくしていれるわけもない。だって、春だし。
襲ってくる罪悪感に苛まれてた。
そして、なんか色々人目に晒されるようなことをやることになって、ビクビクしてた。

言っとくが。オレは素晴らしい人間ではない。褒められるような人間ではない。
30歳にしてはアホすぎる人間だ。あんま期待しないでくれ。