映画『ファイティング・ファミリー』
最近は本買って読んで、参考文献をメルカリで探して買って読んでを繰り返してたら、いつのまにか1日が終わっててビックリする。
そんなこんなでヤベッ!遅れる!!感じで飛び出してみてきた映画『ファイティング・ファミリー』の感想書く!つーか札幌は二週間で終わるみたいで、12月12日に上映終了だってよ!まじか!
オレは毎年これだ!!って好きになる映画があって、数年前だと実写劇場版・咲シリーズ(2017年、2018年)だったり、『赤×ピンク』(2014年)、『極道大戦争』(2015年)、『エンド・オブ・キングダム』(2016年)がそんな映画。
実は、今年グッときたのあんまなくて映画『アクアマン』のブラックマンタが自分で塗装し始めるくだりとか、映画『ハウス・ジャック・ビルト』のチンコが見えそうで見えないくだりくらいだった。
そんな中、ニック・フロストできあがりすぎやんwwwってジャケと、ヤフオクで安くムビチケ買えたって理由で観た映画『ファイティング・ファミリー』がスパッとオレの心を射抜いてくれた。
簡単にまとめると、イギリスのプロレス一家が夢に向かって頑張るって話。
主人公はサラヤ。昔からプロレスが大好きで、13歳からプロレスしてて、WWEのザ・ロック様が憧れの18歳の少女。
サラヤは、夢の大舞台であるWWEのトライアウトに参加して、いろいろ頑張る。
この映画の根底にあるのは、好きなものを好きでい続けることの難しさ、そして自分を曲げずに好きでい続けることの素晴らしさ。
ステレオタイプしか知らなくて、見たことも触れたことすらないのに、数の暴力に調子乗って、無根拠に貶してくる心のないバカってのは、どこにでもいる。めんどくさいこと極まりない。
なんだかんだ人間。自分に自信があっても、99%の人に貶されたら自分が間違ってるんじゃないかな?って思ってしまい、離れちゃうこともあるだろう。
そして負けずに好きでい続けても、家庭環境が悪かったり、才能がなかったり、その道が(世間的に)いい結果につながってるとは限らず、少し離れちゃうこともあるだろう。
好きなものを好きでい続けることは結構難しい。
ちょっと話がそれるけど。
オレはずっと差別されてる意識がある。
遡れば、小中時代とかはアニメやマンガが好きってだけで同級生からオタク!オタク!やアキバ系!アキバ系!っていわれてた。(オタクって意味もどんどん変わってきてて、今じゃ普通だけど、そのときは蔑称みたいな扱いだったね。)
んで、そっから全くアニメ見なくなって、今も見てない。それまでは「あずまんが大王」とか、「最終兵器彼女」とかを夜なべして観てたのに。
サラヤは好きなプロレスを差別されて貶されても、好きなものを貫く。サラヤはあのときのオレができなかったことをやってる。
あのときのオレとサラヤの違い。
自分を認めてくれる仲間がいるかどうか。
サラヤは、理解のある家族もいるし、身近の同年代ことお兄ちゃん・ザックがいるし、周りには一緒に練習する仲間がいる。
あの日、身近にあったのは夜中のイケナイ雰囲気と自室の12型のテレビデオだけだった。アニメが終わったらよくわかんねぇフィラー映像が流れる。テレビが終わると、世界が終わった気がして、世の中の人間は全員寝たんだな起きてるのはオレだけなんだなぁ…って思ってた。
あのときはネットもなかった。今じゃ深夜四時でもツイッターで起きてる奴らがいっぱいいる。ひとりじゃない。
今は「オレが好きなものは好きだし、それを誰かに否定される筋合いはないし、否定する奴は無視でOK」…って思えるようになってきた。
なんで、そうなれたのか。やっぱ自分を認めてくれる仲間ができたからだ。
今だから思えるけど。
価値基準はオレだし、オレが一番よろこぶモノが一番いいモノ。
たとえ、それが世間的に評判悪くても、オレは好きなんだ。
誰かに貶されてもどうだっていい。オレは好きなんだ。
(世間的に)いい結果なんてシラねぇよ。
オレが楽しければいい結果でしょ。
オレが大学時代からずーっとかぶってるキャップがあって、それには「I HATE SMOKE」って書いてる。
これは「タバコが嫌い」ってわけじゃなくて、「煙みたく流されるようなヤツにはなりたくない」って意味だ。
流されないように生きたい。流されやすいヤツだから、ずーっとかぶってる。
サラヤは流されずに、プロレスを好きでい続けた。
それが映画のクライマックスにつながる。