映画『ジョーカー』

誰かの手のひらで踊らされるのはムカつくけど、それを踏まえて踊らされてやろう。

映画『ジョーカー』は現代的なレシピに基づいて作られた映画だと感じた。現代的なレシピってのは、SNSやレビュー文化を利用したマーケティングみたいなところだ。
今物事を流行らせるために必要不可欠なのが。SNSだと思う。今作はそこをうまく利用している。

f:id:AKIRA_954:20191013155118j:plain

映画『ジョーカー』は語りやすい。語らせやすい映画だと思う。
今作はいわゆる”信用できない語り手”の目線から語られる。妄想の妄想の妄想でぼんやりしたピースだけが散らばってて、明確な答えは提示されない。提示されてても信用できない。
その中であーだこーだ言いながら都合の良いピースを掛け合わせて”自分しか気づいてない”話を作り上げて、語ることが容易だ。
テーマも現代的な格差社会をベースにしてて、語りがいがある。

ラストのラストにジョーカーが観客に叩きつける「…っていう面白い話を考えててね」というセリフ。ラストのラストでジョーカーはちゃぶ台を翻す。そう全ては夢オチだったのだ。

全てが滑稽に思えてこないか?
ほらほら、オレの出生について教えてあげるよ、それを元に現代社会の闇を考えてみてよ。つっても、全部嘘だけどねー笑…って。
ある意味、これこそジョーカー的な気がする。みんなジョーカーの手のひらで踊らされてるんだ。
そんな反則技を使われたら、話すことすら無意味に思えてくるのはオレだけだろうか。
ある意味、すべてのストーリーはフィクションなわけだから、そんな酷いこと言わないでくれよ。

最終的に、今作を作ったトッド・フィリップス監督がジョーカーなんだと思う。